
遠山寺
遠山寺は上野国緑野郡御嶽村(現在の群馬県多野郡鬼石町)永源寺の末寺で、山号を長谷川山(ちょうこくざん)という。宗派は禅宗の中の曹洞宗に属する。慶安2年(1649年)に寺領十石の御朱印をもらっている。
御開山は小田原北条氏の部将田口隼人の一族で、漱怒全芳和尚という。全芳和尚は永源寺の事実上の御開山である月江正文和尚の弟子として永源寺の開創に尽力し、永源寺の第三世となる。
その後、木部氏に迎えられ、心洞寺を開山する。木部氏の奥方は全芳和尚の姪で、後に榛名湖に投身し、龍に化したと伝えられている。この墓は全芳和尚によって遠山寺に移され、現在も寺の西の竹林の中に安置されている。そのため、遠山地内には降ひょうの被害はおきないといわれ、遠山寺にはひょう除けのお札の版木も現存している。
全芳和尚はやがて、深谷市の昌福寺の御開山となる。さらに、小田原の最乗寺(道了尊)58代の輪住を勤める。この時、北条氏の部将遠山右衛門太夫政景の請を受けて、永正2年(1505年)に、遠山寺の所領であった遠山の地に遠山寺を創建することになったのである。それ依頼住職として13年を過ごし、遠山寺において遷化される。
遠山寺の開基(創立者)は、遠山右衛門太夫光景といわれている。過去帳には「当寺開基無外宗閑居士コノ父政景也。天正8年2月23日開基、桃雲宗見大居士遠山右衛門太夫藤原光景天正15年5月29日」とある。したがって、政景と光景の2人が開基ということになっているわけであるが、恐らく光景が父政景の追福のために草創して、父親の開基としたためであろうと推測される。
この遠山寺の開基は江戸中期の名奉行として、現在でもテレビや映画でよく知られている、遠山の金さんこと遠山左衛門尉景政の祖先である。
政景、光景父子によって建てられた本堂は現存のものであり、すでに380年を経過している。現在ある山門は、元禄11年に建立されたものである。その2階には梵鐘がかけられていた。鐘銘によればなかなかの名鐘であったように思われるが、残念ながら、第二次世界大戦時に供出されたまま、今はない。





